短足の犬は可愛い

ゲイリーたゃゃさくオールドマンと呼ばれていた頃もあったよ

流行語大賞発表

たゃゃオールドマン主催今年の流行語を発表します

 

「ゲイリーオールドマン」2年連続受賞👏

「莉乃たゃ」

BMOたん」

「落単」

「自主休講」

「負け運って何」

「菅野先発試合の澤村」

「ハピエレ燃やす」

「明日から英語勉強しよ」

ニートになりたい」

バイトしないと」

「カラオケ行きたい」

「久々に皆で集まりたいね」

 

大賞は「あと1回休んだら単位落とす」です👏おめでとうございます👏👏👏👏👏👏

 

社会人の話

社会の一員にいれてもらう為には、ある程度社会に貢献する義務が、人間にはあると思うんだよ。人がお金を貰うために仕事をしている認識でも、その目的を果たすと同時に社会を貢献する義務も果たしてると思うんだよ。社会なんて人が作り上げたもので、人が成り立たせるもので、人が動いて貢献しないと維持できないから。歯車を動かす動力なのじゃよ、多分。歯車動かして絞った甘い汁を皆で分け合ってるのじゃよ、多分。

 

私大学生になってから色々考えてるんだけど、私本当に社会に対して何もしてないんだよね。まだ、社会に貢献させる為の社会側からの投資期間から脱せてないんだよね。怠け者だから。正直、社会人になっても貢献出来る気がしないんだよね。怠け者だから。

社会に貢献してる社会人が無理に使われて過労で死に、何もしてない私が生かされているの、もう実に社会の理不尽さ表してる。勿体無いね。

 

別にボランティア精神を養えって言ってんじゃないんだけど。正直ボランティアが大量にいる社会より、ボランティアがやってる仕事にお金が出て働き口が増えた社会の方が良いと思ってるし。別に金を貰わずに働けって言ってるわけじゃないんだけど。

 

意味分かんなくなってきた。風呂で思いついた時はノーベル文学賞の香りしたのにな。にちゃんまとめサイトレベルやんけ。

 

寝よ、おやちゅみ♡

福士蒼汰と私と嫌われる人間の話

私は女子大学生として致命的なバグを抱えているんだけど、福士蒼汰が別に好きじゃないんだよね。イケメンだと思うし背も高いし生まれてこの方ずっとモテてきたんだろうなって思うし笑顔がニャンちゅうに似てるなって思うんだけど、全然好きじゃないんだよね。何か好きじゃないんだよ。

福士蒼汰という日本社会のカースト上位のような人間が私のような人間から、何となくで好意を向けられないっていうのは、なんとなく何かおかしいような気がするよね。

 

つまり、あの福士蒼汰でさえ私から好かれないんだから、福士蒼汰じゃない人は確実に誰かから嫌われるってことだよ。どれだけ嫌われたくないからって自分を磨き続けても、自分のせいじゃないどこかを理由に嫌われることって、誰にとっても当たり前のことで、しょうがないことだと思うんだよ。

そしてまた、あんなに良い人なのに嫌ってしまう自分のことも、しょうがないって言うしかないのかな。

 

でも嫌いだからって理由で理性的に対応されないのは別。私だって福士蒼汰に告白されたら理性的に考えて付き合うべきだなって思うし付き合いたいもん。だって福士蒼汰だぜ。自分を嫌ってる人に嫌がらせされたら、然るべき場所に相談しようね。

人から嫌われる自分とも、人を嫌う自分ともうまく付き合って、好きになれないからって嫌いになる理由をわざわざ探したり、嫌われる理由をわざわざ探したりするんじゃなくて、お互いに心地の良い距離を見つけられると良いですね。

 

そう、愛は地球を救う…平和共存…美しい社会へ…ラブ&ピース…ピースオブケイク…ライフイズビューティフル…ダンサーインザダーク…ミリオンダラーベイビー…

半端ないの話

私「やばい」「くそ」「めっちゃ」「引くほど」を多用する人間だけど、「半端ない」は馬鹿そうだなって思っててめっちゃディスってるよ。

しかも気を抜くと半端ない使ってるんだよ。

つまり何が言いたいって、ディスられたり指摘されても相手が100%正しいとは限らないんだよ。

 

ディスにも負けず  正論にも負けず

強く生きような!!!!!!!!!!!!!!!

 

指摘することが優しさの時もあればスルーすることが優しさの時もあるから

 

強く生きような!!!!!!!!!!!!

 

私をディスらないでくれ!!!!私の自尊心撫で撫でしてくれ!!!!!!!!!!!!!!!!!

ご飯を食べるということ

私はわさびが好きなのですが、お寿司は絶対にサビ抜きなわけです。けれど、わさびは大好きなわけです。けれど、お寿司はサビ抜きなわけです。

お寿司はサビ抜きだって言ったらわさび嫌いなんだな、って思われるのはまだ良いのですが、わさびをガンガンうどんに突っ込んでるのを見られて、わさび平気なんだなって思われてお寿司からわさびが抜かれないのは大変宜しくないと思う訳だ。

そもそも私が寿司からわさびを抜く理由は、わさびを抜いたほうがお寿司って美味しいなぁって思うからで、其処に伝統も常識も大人の味も風潮も関係ないの。何故お寿司を食べるかって、お寿司が大大大大好きだから食べる訳で、そのとてつもなく愛おしく思うお寿司を最高のコンディションで味わいたいの。夜ご飯お寿司の日は昼ご飯も控えめにするし、お菓子なんて絶対食べない。お寿司が好きで、お寿司を一番美味しい状態で食べたいから。その中でわさびは大好きだけど、お寿司の中にあるとちょっとまずいの。美味しくないの意味ではなくて。

もし世の中に七味バナナクレープという商品があったとして、店で売られているクレープのベースが七味バナナクレープだったら、七味抜いて♡って言うじゃん。そういう感覚な訳です。

 

やっぱりね、食べ物って一番美味しいと思う食べ方で食べるべきじゃないですか。世界最重量の人でも胃には限界があるのだから、世界最重量じゃない私達が生きている間に食べられる量は更に少ないんだよ。麺すすって食べたらより美味しく感じる人がいるならすすって食べるべきだし、ポッキー極細二本食べが至高だと思ってたら二本食べをするべきだし、お寿司にフルーツを乗せるのが美味しかったらお寿司にフルーツを乗せて食べるべきだし、ご飯にきな粉をかけたのが好きならきな粉をかけるべきなんだよ。(きな粉ご飯美味しいよ。)

やっぱりね、食の変化は認めるべきだよ。個人や国民に合わせた変化を認めないことは、隣人の幸せを妨害してるよ。

 

なんて原作改変を改悪だって騒ぐ私が言う訳です。こだわりや誇りを持ってる人が、これは寿司じゃないって、そう言う気持ちも分かるんだよ。過激派だから。

ウサギと亀のはなし

昔からこの話は亀も兎もうざいから嫌いなんですけど、そういう話をします。

亀は何故あんな負け戦を吹っかけてしまったのか。真面目に真面目に歩んだあの時間は、無駄な苦労では無かっただろうか。兎さんに舐めプして頂いたお陰で運良く勝負に勝てたが、あの場面で亀がするべきことは、自身の能力を過大評価して走りで勝負に挑むのではなく、確実に自身のほうが優れている能力を伸ばし、自身の土俵で勝負に挑むべきでは無かっただろうか。足の速さを笑われても寿命の短さを笑えば良いのだ。どうせ二度目の戦には負けるのである。亀がノロノロ歩いてる間に、兎さんはゴールした後ぐうぐう寝ちゃうのだ。伸びた鼻がぽきっと折れて、慢心しない兎さんになってしまって、社会に貢献してしまうのだ。兎さんは自らの慢心による敗北によって自己を捉え直し、亀さんは自己を正しく見つめる機会を失ってしまったのだ。

苦労が努力として評価される時代はいつか終わるし、終わるべきなのだろうと思う。いやまだ社会人じゃないので知らんけど。数学が壊滅的に出来なくて、数学が嫌いで嫌いでやる気を無くした人間にはとっとと数学捨てさせて、そこそこ名のある私立文系狙わせろ。やる気が残ってる人間はとりあえずやろう。高校は決して一番を目指す場所ではなくて、努力して先生にケツ拭わせて選択肢を広げる場所だったのだと漠然と思うけど、苦労するべき方向性は正しく見定めて、その道中で一番を目指すことができたら、良かったなぁ。

いやでも本当、身の程に合わない努力とか、苦労とか、報われたからってプラス及びプラマイゼロになる訳じゃないんだよね。自分で想像してた位プラスになる人なんて、きっと一握りの中の一つまみだろうね。

今思うと、不登校の頃の自分を殺すべく高1の時めちゃくちゃ勉強して、国語の実テで一位を取った時、報われたなぁって思ったもんだけど、今思うとあんなん何にもならんしな。国語の先生と文章の捉え方が似てただけやであんなん。

努力しなかったら報われることはないけどね。何にせよ掛け金って必要だから。

 

まあ私は特に長所もない怠け者の社会のクズなので、自己分析の出来ていない亀さん以下なんですけど。私より優れた人全員私を養ってくれ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 

鈴木尚広選手の引退に伴いまして

自分語りすることに決めました。

鈴木尚広の引退発表。ショックなはずなのに現実味がなくて、受け入れられてないから悲しくもなくて。でも、どうしても尚広さんの凄さと自分語りを聞いて欲しくて、明日のファン感での引退スピーチを前に、ブログに書くことに決めました。

しかし書き終わらなかったので、結局引退スピーチ見ました。良いスピーチだった。

 

尚広さんは、私の持つ野球に関する記憶で、一番古い記憶にある人でした。まだ野球に興味を持ってなかった時、父親がリビングで見てた巨人戦。ライトの守備についてた尚広さんが、ヒットになりそうな打球をダイビングでキャッチした記憶があって。(確かあれ、厳密にはグラブからボールが溢れてたんだけど、尚広さんのプレーが凄かったのと、ボールがこぼれ出たのが分かりにくかったのとで審判がアウトって判定したはず。)

その時は選手の顔と名前が一致しないどころか、野球に興味も無かったんだけどその記憶だけはずっと頭に残ってて、中学生になって、坂本勇人ファンになった姉に引きずられて野球を見始めて、ああ、あのプレーをしたのはこの人だ、って分かったのが尚広さんのファンになった始まりでした。

 

私が見ていた鈴木尚広はいつだって凄かった。私が野球を見ている期間は、尚広さんを見ていた時間はたった6、7年だけれど、まさしくプロだった。尚広さんの登場に観客は沸いたし、一塁ランナーとして盗塁の期待に応えるだけでなく、これじゃホームイン無理だなって打球でも、高い技術でキャッチャーのタッチをくぐり抜けて、ファンの期待を超え続けた。尚広さんが一塁にいるだけで相手バッテリーは警戒したし、時には尚広さんが出てきたと同時に相手バッテリーが交代した。

巨人の切り札であり、原野球の申し子であり、プロフェッショナルであり続けた人。彼は成功するのが当たり前であった一方で、失敗することもあった。牽制死しても、盗塁に失敗しても、ホームで刺されても、彼の失敗なら良かった。鈴木尚広という選手の努力も、技術も、準備も、才能も、誰も疑わなかった。鈴木尚広という選手は、彼が残した結果なら何であってもしょうがないと思える、数少ない人物だった。

だからこそ、CSでの牽制死を理由に引退を決めた、みたいなファンの中での風潮はおかしいなって思ってます。結果が牽制死でも、盗塁成功でも、何でも、グラウンドではプロとしてのプレーしかしない人だと思ってるから。多くのプレーの中の一つで、ブチッといきなり切れてしまう人だとは思えない。

 

巨人の切り札。ゴールデングラブ賞を獲って、オールスターに出場して、日シリで優秀選手賞も獲得して、ホームランもサヨナラ打も打った、200盗塁以上の選手で一番の成功率を残した人。記録にも、記憶にも残る人。私を巨人に縛り付けてくれた、神様みたいな人。終盤の尚広さんは巨人ファンの希望だった。象徴だった。本当にありがとう。お疲れ様でした。

正直まだやれる人だと思うし、擦切れるまでやって欲しかったし、限界まで尚広さんのユニフォーム姿を見ていたかった。でも選手生命の限界までプレーすることを選択出来るように、引き際を自分自身で選択出来るのもまた、沢山の野球選手の中の一つまみの人間にしか許されないことだから。まだ見ていたかったけど、引退試合くらい、見せてくれたって良いじゃんとは思ったけど、今までずっとファンに素敵なプレーを見せてくれた人だから、不満なんて言わずに最後くらい尚広さんの思った通りのやり方で見送らないと。いや、やっぱり引退試合位見せてくれたって良いじゃんって思ったけど!!!

 

短い野球ファン暦だから、尚広さんのいない野球界を見るのが初めてなので、寂しくもあり、ほんの少しだけ、楽しみでもあります。

 

どうか、足だけ早い選手を尚広さんの代わりのポジションに突っ込むような愚かなことが起こりませんように。走塁だけじゃない、代打でも守備でも、良い選手が自分の長所を伸ばして、一軍に定着して、結果的に切り札になってくれれば良い。ていうかなんで最近巨人俊足内野手大好きなの。

 

本当にありがとう、お疲れ様でした。またいつか、巨人のユニフォームを着た尚広さんをもう一度見られますように。絶対絶対帰ってきて下さいねっていうかまあ帰ってくるよね!!!!!!尚広さんだもんな!!!!!!!!!

引退セレモニー、フォトセッションの時隣寺内で死ぬほど泣いた。本当に有難う。尚広さんを好きになれて良かった。たったの6、7年だけど、尚広さんを応援できて本当に幸せでした。