短足の犬は可愛い

ゲイリーたゃゃさくオールドマンと呼ばれていた頃もあったよ

ご飯を食べるということ

私はわさびが好きなのですが、お寿司は絶対にサビ抜きなわけです。けれど、わさびは大好きなわけです。けれど、お寿司はサビ抜きなわけです。

お寿司はサビ抜きだって言ったらわさび嫌いなんだな、って思われるのはまだ良いのですが、わさびをガンガンうどんに突っ込んでるのを見られて、わさび平気なんだなって思われてお寿司からわさびが抜かれないのは大変宜しくないと思う訳だ。

そもそも私が寿司からわさびを抜く理由は、わさびを抜いたほうがお寿司って美味しいなぁって思うからで、其処に伝統も常識も大人の味も風潮も関係ないの。何故お寿司を食べるかって、お寿司が大大大大好きだから食べる訳で、そのとてつもなく愛おしく思うお寿司を最高のコンディションで味わいたいの。夜ご飯お寿司の日は昼ご飯も控えめにするし、お菓子なんて絶対食べない。お寿司が好きで、お寿司を一番美味しい状態で食べたいから。その中でわさびは大好きだけど、お寿司の中にあるとちょっとまずいの。美味しくないの意味ではなくて。

もし世の中に七味バナナクレープという商品があったとして、店で売られているクレープのベースが七味バナナクレープだったら、七味抜いて♡って言うじゃん。そういう感覚な訳です。

 

やっぱりね、食べ物って一番美味しいと思う食べ方で食べるべきじゃないですか。世界最重量の人でも胃には限界があるのだから、世界最重量じゃない私達が生きている間に食べられる量は更に少ないんだよ。麺すすって食べたらより美味しく感じる人がいるならすすって食べるべきだし、ポッキー極細二本食べが至高だと思ってたら二本食べをするべきだし、お寿司にフルーツを乗せるのが美味しかったらお寿司にフルーツを乗せて食べるべきだし、ご飯にきな粉をかけたのが好きならきな粉をかけるべきなんだよ。(きな粉ご飯美味しいよ。)

やっぱりね、食の変化は認めるべきだよ。個人や国民に合わせた変化を認めないことは、隣人の幸せを妨害してるよ。

 

なんて原作改変を改悪だって騒ぐ私が言う訳です。こだわりや誇りを持ってる人が、これは寿司じゃないって、そう言う気持ちも分かるんだよ。過激派だから。